普遍的な"中国"

開始早々、前回の投稿から一週間以上の間を空けてしまったので、今回は重めの投稿。

 

米国のトランプが、自由や民主主義といった価値に対して、疑問を呈する中で、相対的に中国の評価が高まってきた。G0あるいはG2から、中国一強にまでになる勢いだ。

 

その中国が強力に推し進める一帯一路構想について、関心があったので、『「接続性」の地政学』(パラグ・カンナ)を読了。

 

ポイントは以下の通り。

  • 「地理が運命を決める」から「接続性が運命を決める」
  • 接続性を巡る競争は、国境紛争のような暴力性は低い。大国間の争いからの脱出口としての役割。
  • インフラは共同で利用されれば、目に見えぬ法律や外交より現実性や信憑性を持つ
  • 帝国や国家を超越し、将来への最適指針としての「需要と供給」理論。
  • 綱引きのパラドクス:競技が長く続けば続くほど勝者になれる可能性が高くなる。
  • 地政学の本質は、「領土の征服」及び「近隣国や敵対国の支配」から「接続性の優位性」へ。
  • 外交の基本原則を見せかけの道徳主義から現実主義に戻せば、費用便益計算に基づいた決断を後押し。和解、譲歩、共存が生まれる可能性が上がる。
  • 我々が目指すべきは、パックス・ウルバニカ(都市哲学)

著者によれば、自由や民主主義に次ぐ普遍性は接続性とのこと。

 

接続性が大きな影響力を持つことについては、基本的には賛同する一方、自由と民主主義と違って、互恵的な関係にならない場合もあり、場合によっては経済帝国主義になりえることから、接続性が普遍的な概念になるかについては、疑問が残る。

 

一方の自由や民主主義も、経済的な繁栄をもたらすとの論調もあるが、必ずしもそうなっていない事例もある。

 

従って、どちらの概念が、より経済的な繁栄をもたらし、人々を豊かにするかが論点となる。また、どちらの概念も追及されるような競争が起こる(≒普遍性のパラドクス)という中では、片方の普遍性を受け入れないことの抗弁として、もう片方の普遍性が活用される場合が考えられる。その場合は、いかにその概念を偏向的な正義とさせないかがもう一つの論点となる。

 

いずれにせよ、一帯一路構想を通じて、接続性を追求する中国は普遍性を持つ可能性がある。どのように接続性が具体化されるかは見物である。中華帝国から中心国家へ。

 

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